大阪フィルハーモニー交響楽団第575回定期演奏会

フェスティバルホール入口

13時半ごろにフェスティバルホールには到着した。コンサートの開演は15時でかなり時間には余裕があったが、今日は一大事的なコンサートだったのでこれでよかった。

 

地下階の喫煙ルームに籠りそわそわしながら煙草を何本か吸い、14時開場に合せてこの紅い絨毯をエスカレータではなく階段をゆっくり歩いてあがった。

 

2月10日、大阪フィルハーモニー交響楽団第575回定期演奏会はほんとに楽しみにしていた。最近の音楽の好みはロマン派後期から近現代が中心になっている。

ラヴェルラフマニノフプロコフィエフショスタコーヴィッチ、ストラヴィンスキー、ドヴュッシーなどが好みになった。

その中でも特にショスタコーヴィッチは特に好きだ。まだ全部は理解できていないが、どの曲も内容が深い。そして、特に現代のジョージ・オーウェル1984』的な息も詰まるような社会情勢はショスタコーヴィッチの心情にピタリと合っているように思えてならない。

彼が生きた時代は1975年迄であるが、共産主義思想統制の社会が現在の日本・欧州・アメリカに当てはまる時代になってしまっているような気がする。音楽の雰囲気は昭和だが、内容は現代の苛烈な、真綿で首を絞められているような閉塞感が当てはまる。

 

緊張気味のこの表情でもわかるとおり、ショスタコーヴィッチのの作品に共感し、今日のこのコンサートに臨んでいる。

 

前半のシュトラウスポルカ「クラップフェンの森で」はロシアの鉄道会社との専属契約での作曲らしく、パブロフスクは駅の地名でそれがウィーンで演奏されるときはクラッブフェンの森に曲名を変えたという、ロシアとの縁のある曲がプログラムの一曲目。

二曲目はショスタコーヴィッチのワルツを含む組曲。時代が昭和にぐっと引き寄せられる。前半はこれでおしまい。

いつもの喫煙所でコーヒー片手にたばこ。後半の前のくつろぎの時を一生懸命にバビー・ヤールの訳詞を読みながら過ごした。

 

 

後半が始まる。

絶望的な響きの管楽器が鳴る。もう、時代は殺戮の絶望に放り込まれたような暗い社会だ。ユダヤ人の民族差別以上の人間として生きていけない絶望があふれる。歌詞の中にアンネ・フランクの名称も出てくる。

そんな第一楽章がバスの野太い声と男声合唱で奏でられたあと第二楽章の「ユーモア」が始まる。ロシア的ショスタコーヴィッチ的なリズムでオーケストラ・合唱・バスが大音量のフォルテを繰り返し奏でる。凄い迫力だ。現代のデモーニッシュ。

それにしても大阪フィルハーモニー交響楽団は女性が演奏者が多いのにすごい音の厚みと高エネルギーな演奏を聴かせてくれる。

鳥肌の連続と内から湧き上がる突き上げるような感情が抑えられなくなるような感動。

たまんわ。びっくりした。ショスタコーヴィッチの音が井上道義さんに乗り移ったかのような、いや逆か、そんなリズム感とダイナミックスと反骨精神。権力に国家にこの世の中を歪めて人々を抑え込むような勢力には絶対に歯向かうという精神の現れ。

 

恐怖と抑圧、真実の正義を信奉するための音楽。ガリレオが地動説を唱え、宗教権力者から弾圧を受け、正しいことは正しいと自らの家族縁者親戚や一般社会からすべてに拒絶されても貫き通した精神。それを訴えている。

現代もメディア・マスコミ・テレビで嘘が教えられ、洗脳される。国家はアメリカなのかディープステートなのか一部の影の勢力に抑え込まれ本当のことを言えない世の中になってきた。スリーS洗脳により、享楽と英語的意味の労働と、抑圧を理解できずになる。ワクチンによる人口削減という殺戮や民主主義と自由を奪おうとするWHOの押し付けを否定できない脅された政府関係者や首相・内閣・国会議員、意見も言わない享楽に明け暮れるボンクラ国民一般大衆。

 

そんなことをふっと感じながらも大阪フィルと井上道義さんとバスのアレクセイ・ティホミーロフさん・オルフェイ・ドレンガー合唱団の皆様の圧倒的にすごい演奏に『生きていて良かった、こんな感動が味わえるなんて』と思った。

 

人生で何度とはない感動と興奮の演奏会だった。