コバケンの三十二年目の最期のコンサートと左目の涙について

台風が来た。

なので今日は職場で仕事をするのを止め寛いだ、そんな一日。

ようやく八月十一日のコンサートの事を書く。

書こう書こうと思っていたので。

それは左目の涙について。

過去色々なコンサートに行った。

感動も数々経験した。

十一日のコンサートはその一つだった。

 

プログラムは

1,シューベルトの未完成

2,ベートーヴェンハ短調

3,ドボルザーク新世界より

 

演奏は

指揮者 小林研一郎

管弦楽 大阪フィルハーモニー交響楽団

 

会場は

フェスティバルホール

 

シューベルトはすこし聴いたが寝ていた。

ベートーヴェンは聴きこんだ。素晴らしいアンサンブルと低弦の重厚さ。

休憩前

ここでコバケンはいきなりマイクを持ち、喋りだした。

なんとこの三大交響曲の夕べは三十二年間継続して指揮をされていた。

それだけでも驚きなのに!

しかし、ここで話されたことは今回で卒業するということだった。

驚愕。唖然。

仕方がない。

御年、八十二歳らしい。

以前歩行が困難そうなときも知っているが、七月のコンサートでは矍鑠と

歩いてステージに登場していた。今回もそうだ。

まだ八十代。あと十年近くはできるのではないかなあと思ったが私の身体

ではないのでわからないが。

休憩時間の喫煙タイム、トイレタイム。

 

ドボルザークが始まった。

静かな出だしの弦の音がホルンとフルートでなんか目覚め始める。

突然低弦とティンパニが静寂を破る。

懐かしい暖かな旋律がヴァイオリン群で奏でられドボ節全開だ。

二楽章、あの有名な旋律がオーボエで始まりいろんな楽器で繰り返す。

いつまでも聴いていたい。

裏旋律は夕日の中仕事が終わり黙々と歩いているような情景が浮かぶ。

室内楽的な反復でいよいよ締めくくろうとする。

気が付くと左目から涙。

右目はそのまま。少し鼻がつまったような感覚。

そう、何故か左目のみ涙。

 

三楽章はインディアンが馬で駆け回るようなリズミカルがな音楽。

四楽章はいよいよ蒸気機関車がゆっくりそして徐々にスピードを上げ

汽笛を鳴らし走る。

 

残念ながら、この後母の家に二十時三十分には行かないといけないの

で、拍手を会場の人々と共有する至福の時間は端折った。

 

左目の涙を調べたら、悲しい・美しいということらしい。

 

小林秀雄のモオツアルトのト短調の『疾走する悲しみ』ではなく、おなじ小林秀

雄の万葉集の評論での『かなし』。海と空の蒼さとかなしという感情。

 

左目の涙は表現がなかなか難しい。

なんなんだろう。気が付いたら涙。

別に悲しいわけではない。

身体が心がすっと、軽くなる。

 

これについては今後のコンサートでまた考察してみよう。