ショスタコーヴィチのコンサート

5月31日になった。最近、毎日が重苦るしい。

昨日は日本版CDC事務所の開設議案が国会の参議院で通過したらしい。

これで、きっとワクチンも強制されることになるのか?

LGBTQ法案も意味のない中身の議論に終始して、決まるのだろう。

日本がどんどんと、長い歴史の重みを忘れ去り、くだらない西洋の考え方に従属した文化になる。

そんな重苦しい日々のなか、大植英次指揮の大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏会があった。

プログラムは

 シューベルト交響曲第7番ロ短調

 ショスタコーヴィッチ・交響曲第5番ニ短調

 

メインはショスタコーヴィッチだ。コンサート開演前に大植さんのプレトークがあった。話はショスタコーヴィッチのこの5番の作られた時代1937年ごろの社会背景。

定番のソビエトの厳しい統制と残酷さだが、私と考えが違うのはソビエト=現代ロシアではないだろうということ。

私の考えではソビエト=現代アングロサクソン=DSだということ。

 

なので、その点では共感できない。

これから、社会は自由を捨ててメディアによる言論統制と人間の奴隷化をめざすのだろう。

ワクチンがどれだけ、副反応による被害を出しているかは報道せずに、法律による強制がこれから行われるという残酷な未来しかみえてこないという想像が当たらなければいいのだが、実際にCDC開設が国会で通過した。

日本は欧米のDSによる植民地的な支配にさらされる。それら勢力と戦う国士は国会には少数派。彼らは自分の立場と現在の経済的成功を守ることを第一に考え2600年以上営々と続いてきた日本文明を滅ぼす手先になっていることの自覚さえないだろう。

 

今日聴いた5番以上に後期の交響曲は深刻な音楽になっていく。ショスタコーヴィッチが表現したのはまさに現代のわれわれの社会のような深刻な状況だ。

自由が奪われ、思考そのものがメディア・AIによってなくなって判断ができない人間が作られる。恐ろしい。

 

そんな思いしか浮かばず、大植さんのプレトークへの共感できない思いから、周りのコンサート終演後の熱狂を夢のようにあっけにとられてぽかんと口をあけて見ている間抜けな私がザ・シンフォニーホールでいた。

 

たしかに大阪フィルはいい演奏をしてくれた。すばらしい低弦、良く響くピアニシモの木管やヴァイオリン。そして大音量の合奏。鳴り響くティンパニ。会場が壊れそうな地響きのような金管楽器群。

 

しかし、その中に現代の深刻な社会の変化を私は感じ取れず、華やかなフィナーレとともに砕け散った感が残る。

 

脇目もふらず、会場を後にして家に帰った。これからの深刻な未来を鬱える、そんな思いが重く自分を圧殺するような感覚。

ショスタコーヴィッチは未来を現わしている。