仕事の正義

 久しぶりに仕事をして疲れた。ビジネスの中での正義とコンプライアンスについて考えてしまう事案があった。
過去に仕事の中で不正な行為に加担することがあった。もちろん首謀者ではない。しかしそうした不正な行為を業務的に処理していた時期があった。どうなんだろう?仕事とは業務を通じて価値を創造しその対価を利益として生み出す。その利益で会社及び従業員は給料をもらう。当たり前の事だがそれがまずルールである。個人は会社のルールと社会のルールのなかで生きている。

 一方ビジネスは社会における価値を競争して生み出していく戦いの場でもある。会社における経営者はその熾烈な競争に打ち勝ち対価を得て社員に分配しなければならない。
では正義とは普遍的なものなのだろうか?うまくやればいいんだ。法に触れないようにたちまわればいいんだ。そして競争に勝ち利益を得てこそ、そのグループあるいは集団の中のヒーローだ。守護者であり勝者だ。だから利権をバックにマージンを要求する立場の『持っている権利者』とのパイプを深めていく。そんな活動こそがデキル営業マンの象徴。

 本来何のために仕事をするんだろう?当たり前のことを考えたり、疑問に思うんじゃないよって通常の考えが諭す。
いやいや、そんな仕事で自分の人生が輝くか?青臭いこと言うんじゃないよ。
デキル営業マンは手段を選ばず活動し仕事をゲットしてくる。下の人たちはその仕事の業務に粛々と従事する。いやあ凄いな。どんどん仕事を取ってくる。デキル営業マンは仕事の本来の姿はどうでもよく、数字をあげる。仕事の意義?そんなのどうでもええんと違う?仕事があれば。

 デキル営業マンはいつの間にかいろいろなものを失って行く。まず、自分の生き方。
生き方は得られる対価のための奴隷となって、若い頃子供の頃に描いていたカッコイイヒーローのようではなく悪役レスラーのように越後屋のような姿になり利権を食べる怪獣になる。普通の人間には戻れなくなる。
きっとその周りの家族や友人は離れて、決して本当のことを教えてくれなくなる。本当の家族も友人もいなくなる。周りを見渡すと利得のために集まった輩ばかり。

 本当に美しいものの見分けがつかなくなる。美味しい料理を味わうことができなくなる。時間の全ては対価のために全て捧げている。
 家は金があるから買った。しかし家での時間はない。奥さんが美味しい料理を作ろうにも時間がないから味わいようがない。時間だけではない。心の中も。空っぽ。

 仕事を通じて得られる絆、向上心、達成感、これらは本来生きて行く上での喜びだと思う。そんなものを味わうことも失われる。